北海道中頓別町にある「道の駅ピンネシリ」。施設案内、オートキャンプ場、ふるさと生活体験館、コテージ予約など

なかとんべつの造材の歴史


 中頓別は周囲を森に囲まれた中山間地域である。
 見渡す限りの緑の山を見ると、かつて膨大な量の木が切りだされた造材の歴史を想像することは難しい。しかし、現在の森に入り、わずかばかり残る巨木に出会うと周囲の木はまだ細く樹高がひくい若い木であることがわかる。(略)中頓別の現在の森の多くはトドマツ、エゾマツの針葉樹、ミズナラやカエデなどの広葉樹が混在する樹相豊かな針広混交林であることがわかる。
 (略)頓別地方の造材は、まだ鉄道開通前の明治37(1904)年頃からオホーツク海沿岸地域を中心に始まり、同42年に三井物産が650万石という膨大な伐採計画をもって官有林の払い下げを受けた時から本格化した。当時は大きいもので直径が背丈以上あるエゾマツ、トドマツやハルニレ、ミズナラが生い茂る「昼なお暗き」まさしく原始の森であった。それらを人力で切り倒し馬橇によって運び、さらに頓別川を流送により河口の港に搬送した。先人たちの作業の労苦は、現代では想像しがたいものがある。
 頓別川の中流域、中頓別の造材は大正初期に全国各地からやってきた「団体」と称する組織的な入植者達や資本家が雇った小作人達による開墾に伴い開始された。伐採された木は、川を使って流送されておりその量は少なかった。本格的な造材事業は、鉄道の開通を待たなければならなかった。
 (略)
 そして、大正3(1914)年に小頓別駅。同5(1916)年に中頓別駅が開業し、中頓別の造材は飛躍的に増大した。
 (略)
 太い針葉樹やミズナラなど高価な大木が先に伐採され、国内だけではなく海外へも輸出された。また大正から昭和初期には、木材を製材する木工所が駅周辺に進出し、製材業最盛期には9工場を数え、中頓別では柾板も製材していた時期もあった。昭和初期に民有林の造材が終わるにつれ、製材用の原木量が徐々に減り、製材工場は道内より大きな木材集積地に集約され、昭和中期には3社となった。その後国有林からのげんぼくやパルプ材の出荷が中心となり、広葉樹の伐採と鉄道輸送は昭和中期まで続いた。
 (略)
 しかし道路の整備と大型トラックの普及に伴い、山中の土砂からの搬出は馬からトラックに代わり、積み込まれた原木は駅まで積み替えることなく港や地域外の製材やパルプ工場に直接搬送されるようになった。そのため鉄道貨物の激減につながり天北線廃線の影響ともなった。

【中頓別町 中頓別地元学・開拓100年の本「中頓別を歩く」(2009年)の一部より抜粋】
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